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〜Nuestra patria es Yokohama
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死守せよ 軽やかに 捨てよ

映画/音楽/詩/酒/松田直樹
 
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プライマル、久々の新作。
このジャケットをネットで見かけた時に大爆笑してしまったのですが、中身はここ数年で一番強力でした。新作をひっさげたツアーでライブが見たいぜ(フェスとかじゃなくてね)
 
先月、サッチャーの死去と共に私が若かりし時(うぷぷw)聞いていた音楽について言及されていたものがネット上に出回っていて、懐かしさ半分でいろいろ読んでみたのですが、大事なことが結構書かれていました。
サッチャリズムへのカウンターカルチャーとしての音楽。
感情は唄になるが、理念は唄にならない。

で、今回のプライマルのアルバムに戻ります。
マニがストーン・ローゼスに戻ってしまったので、正直不安なところもありまして。
プライマルってロックど真ん中っぽいの(『ロックス』とか、ね)は私はあんまり好きじゃなくて、ダンスフロアに寄っている音の方が相性がいい。マニがバンドに加わることで、あのレニークラヴィッツのとこにいそうなギタリストの感覚に引っ張られそうなのを、うまくバランスとってくれてたような気がするんだよね。ステージ上では若干うざかったけどw
 

今回のアルバムが面白いのは、プロデューサーのいい意味での遊び心が全編を貫いているところかな。
欲張って収録時間が長過ぎる気がするけど、意欲的なんだということで。
ボビーはロックって言ってるけど、時代を揺らしてきた音楽たちを越えよう、塗り替えようという意志がきちんと音に出ている。音楽にも向き合っているし、こちら側にも伝わってくる。
大事に聴こうと思います。
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今年も行ってきました。クラシックの祭典。昨年はロシア、今年はフランスがテーマ。
1プログラム45分で、クラシックと触れ合うイベント。
場外にもステージがあって無料で楽しめるプログラムもある。
 

会場の外は屋台とかも出て、飲んでる人もたくさん。
ざわざわしていてめっちゃいい雰囲気。

で、渋さの今年のお題はキャバレー。
ムーラン・ルージュとか、フレンチ・カンカンとか、耳からだけでなく目からもいろいろ楽しませてくれるであろうことが容易に想像できる。
配られた演目表には「屋根の上の牡牛」と書かれておりました。
ステージ上にほんとに牛がいたので爆笑しましたが。

私は、クラシックのことはあんまりわからないので相方からいろいろレクチャーを受けたのですが…やっぱり体制にカウンター食らわすみたいなものが好物なので、渋さが演るからにはそういったものを期待してしまうわけです。でもクラシックは体制そのものだという。
宮廷とか上流社会から、成り上がりみたいな人たちが趣味で音楽をやるようになり、音楽を演奏したりすることが市民権?を得るようになると芸で生活を立てる人がたくさん混ざってくる。ジプシーとか、国境を越える吟遊詩人。渋さみたいですね。
 
で、どこへ行っても何を演奏しても渋さ知らズになってしまうステージは本当に圧巻で。
これどのくらいの期間で、どうやって完成させたんだろう。
一晩限りのためにいろんな力が動いていて、死者も目覚めさせ踊らせる音楽だなって思いました。
 
クラシックのイベントなので(去年ほどでないにしろ)、渋さを知らないお客さんがたくさんいるのもいいんだよなー。渋さがいろいろチャレンジしているようなステージで、客が予定調和を求めてもしょうがないでしょ。てか、そういうのが多すぎるんだよね、最近。
…おっと愚痴ってしまいましたがw
 
というわけで本当に楽しかったです。
渋さのみなさま、いつもいつもありがとう。




パティ・スミス 久々の来日公演。
チケット発売が去年の夏だったから随分待ったけど、先月ようやく『Just kids』の翻訳本が出て。そして本の内容が回顧録とは思えないほど瑞々しさに満ちていて、ライブへの期待が一気に上がりました。
 
まずは日曜日に『Just kids』の購入特典で参加できたタワーレコードのトークショーへ。
憧れの人にまた会えるということで、インタビューを私がするわけでもないのに、なんだかしらないけど無駄に緊張してしまいましたw
音楽に関する話というよりは『Just kids』に関連する話がほとんどだったんだけど、パティが時折みせる笑顔や話がとてもチャーミングなのと、言葉に宿っていたであろうものが場を明るくし、そこにいるみんなをリラックスさせていたように感じました。
本の内容も、昔の話なのにパティの手にかかると現在進行形みたいなんだよね。続編を書いているとのことなのでとっても楽しみ。
 

この日はサイン会もありまして。私の付箋だらけの本をみたパティが、ポケットからそっと私にバッジを手渡してくれました。嬉しかった。このバッジはお守りにするのだ。
 
あ、余談ですがリニューアル後の渋谷店の2Fは、カフェとbookstoreがとても居心地のいいスペースになってました。ネタ探しにも使えそうな本もゴロゴロ置いてあって、パルコの本屋とハシゴしてカフェで作業とか使えそうな感じ。
 
 
そして水曜日に渋谷AXで待望のライブ。
なんの迷いもなく、暗くなる前から前方に突入。まー、たまにはいいじゃないかw
『BANGA』からの曲を中心に、昔のアルバムからも時折混ぜて。
途中のガレージ・パンクメドレーで客がヒートアップして、それまで比較的落ち着いていたおっさんどもが吹っ飛ばされてヒーヒーいっておりましたw いい光景だったなぁ。でも97年にはこのおっさんたちも私と同じように『ロックンロール・ニガー』で自分が客を吹っ飛ばしてたかもしれないでしょう。ああ、ライブっていいなぁって、結構、自分の中ではあの光景で高まっちゃいました。
で、自分はどうだったかというと、やけに冷静で。圧倒されちゃったのかもしれないし、全身で音を受け止めようと自然に体がそんなふうに反応しちゃったのかもしれない。あ、でも『GLORIA』はさすがに我慢できませんでしたっ。
トークショーの時とは違う、太くて少し癖のある声、彼女を支える無駄なものが削ぎ落された演奏、これはやっぱりバティにしか作り出せない世界。
全身全霊で表現するパティを観て「最高だった」というだけでなく、私にできることを、自分なりの方法で表現し続けようと思った人がたくさんいるのではないか。
 
2009年のフジロックでのライブの後に私はこんなことを書いてました。
「私たちは生きている。私たちは自由だ」こんな言葉を残してパティはステージを降りた。ジミ・ヘンドリックスも、ジョン・レノンも、ジョー・ストラマーも、忌野清志郎も死んだ。でもオレたちは生きている。
「言葉はオレにとって、ただのルールで規則でしかない」またパティとGLORIAを唄える日を信じて、この機会を与えてくれた全ての人に感謝を。

 
2010年、2011年と今までの自分を変えてしまうようなことが続いて、人との出会いの重要性を痛感しています。運もあるのかもしれないけど、自分の感性でたぐりよせなければ巡ってこないものもあるんだろうね。そんな中でパティの本とライブでたくさんの人と楽しさを共有できたことが本当に幸せでした。そしてまた『GLORIA』をパティと共に唄える日を信じてやみません。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンという音楽祭が毎年行われていたそうで。今年の東京開催のテーマが「サクル・リュス」。ストランヴィンスキーの『春の祭典』にちなんで命名されたこの音楽祭に渋さが出演するというので行ってきましたよー。
 

国際フォーラム前。屋台も出ていてなかなかいい雰囲気。
 

こんなステージもあったり。
 

幾つかあったホール名もロシアの文化人の名前がつけられていました。
 
渋さ版『サクル・リュス』は開いた口が塞がらなくなるほど野蛮で生きのいい演奏でとても幸せでした。よその人の曲をどう料理しても得体の知れないあの渋さになるんだよねー。耳をふさぎながら聞いていた人がいたらしいですが…。
このコンサートに行く前にロシアのことなどをいろいろ調べていて、西欧中心の価値観の中でロシアの音楽は異端視されていたこと、音楽とバレエの結びつきが強いこと、抑圧されていた社会主義の中で表裏一体のように自由へ向けて手が伸ばされていたことを知り、渋さにぴったりではないかと思っていたのですが、ほんとに胸が震えるような体験をしました。演奏だけでなく、踊りにも力が入ってたし、最後に姿を見せたあの火の鳥の雄弁なことと言ったら。生命力のあるものたちは死を連想させるものでもあるのですね。
「今はまだその時ではないのかな」
前回のツアーのチケットもはずれ、今回のツアーのチケットもはずれた時に、そう思うことにして諦めていた私の元に、突然チケットが舞い込みました(Hちゃん、多謝)
 
ツアーの始まる前のUstでオザケンはこんなことを言っていました。
「音楽が大好きで続けられなくなった」
私たちの前から姿を消した理由をさらっとこんなふうに聞かされると思っていなかったので、涙が溢れてきてしまい困りました(好きなことを続けることの苦しさ、続けたいのだけど心が続けることを拒んでいる。普段、心の奥底にしまいこんでいる感情はこんなふうに突然胸を締めつけるのです)。
果たしてオザケンはどんな歌を私たちに聞かせてくれるんだろう。
 

コンサートは語りと歌で構成されていて、なんと3時間半もの間、幸福で贅沢な時間を過ごしました(それでもまだ喋りたそうなのには笑いが止まりませんでしたが)。
華奢で細身のパンツをはき、ふふっと茶目っ気たっぷりに笑うオザケンは、あの頃と変わらずで。
起承転結にとらわれない言葉を巧みにちりばめて、街に放つように、夜空を彩るように、私たちに投げかける。私たちもそれに応える。
「絆」とか「歌の力」とかいうよくわからない薄気味悪い言葉にうんざりしていたので、会場に拡がるごくごく自然なみんなの声がとても心地よくてその余韻は今も続いています(「歌の力」という言葉がうんざりだと書いたのは、その言葉と裏腹にちっともこちらに響いてこない歌が、日本中に氾濫していたからなんですが)。
あとは、モノローグがとても楽しかった。語りや歌という表現を通して言葉がより輝く人なんだろうね、オザケンは。
楽しいだけじゃない人生だけど、悲しみを抱きながらそれでも希望を捨てきれない道を歩き続ける私たちのポケットにはいつもオザケンの歌があるんだ。
素敵な時間をありがとう☆ まだどこかで会えますように。
 

隠し撮りだからピンボケなんだぜw
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