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〜Nuestra patria es Yokohama
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死守せよ 軽やかに 捨てよ

映画/音楽/詩/酒/松田直樹
 
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映画でも音楽でも本でも何でもいいのですが、あの出会いが私を変えた的な作品って誰にも一つはあると思うのですが、私にとってはこの『アンダーグラウンド』がそれ。
仕事で映画関係のパンフレットを作成している会社にいたことがあるので、仕事中に映画について妄想することが許される恩恵にあずかって、まさに浴びるように映画を観ていました。テオ・アンゲロプロスの『ユリシーズの瞳』という映画も同じ頃に公開されていたはずなんだけど、内容についてはほとんど覚えていません。
一方、この『アンダーグラウンド』のことはよく覚えていて、シネマライズの様子とか、金縛りにあったように椅子から動けなくなったとか、上映後にとりあえず渋谷のWAVEにサントラ買いに走ったところ売り切れだったりとか。
 
世界中で起きている、私たちに知らされていないことを積極的に知るようにしようと漠然と思ったのもこの映画がきっかけです。
当時、映画監督を辞めると宣言したクストリッツァは私たちの前に戻ってきてくれて、今もたくさん映画を作ってくれてるけどやっぱりこの映画だけ違う。『マラドーナ』で過去の作品が挿入されているけど『アンダーグラウンド』だけないんですよね…。
 
バウスシアターの爆音映画祭で上映されるというので、前売り券まで買ってスタンバイ。自分の中ではあの全編にわたって狂言回し的に登場するブラス音楽を感じられればそれでよかったんですが…甘かった。音楽、爆撃音、そしてそれらに引っ張られるように溢れ出てくる生命力までがパワーアップしてきてこちら側にぐんぐん迫ってくる。降参です。あっという間の150分でした。
映画の奔放さという点では文句ないし、忘れられないシーンはたくさんありますが、クストリッツァの分身として映画の世界に送り込まれたイヴァンのラストシーンでのあの台詞が、一見儚いようでいて、いつまでも続くところにこの映画の凄さがあるんだと私は思います。
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アキ・カウリスマキの新作『ル・アーヴルの靴みがき』を鑑賞。
予告編もなくいきなりの本編上映が効いたのか、開始30秒でストーンとカウリスマキの世界に落ちる。
60年代に上映された数々の素晴らしい日本映画に出会い、胸を震わせた時間を思い出すような幸福感。
スクリーンの向こうの登場人物たちは、涙も流さないし、笑いもしない。
タバコの煙をくゆらせ、一杯のアルコールで胸のつかえをとり、酒場で、街角で、抱擁を交わす。世の中の理屈とか常識とかを無効化するような出会い。
 
「人生なんてそんな甘いもんじゃない」と善人だらけの映画には、3割増で毒を撒きたくなっちゃう私ですが、カウリスマキのセンスのよさにただただ脱帽。
本人に聞いたら映画におけるマジックを利用しているだけだと煙にまかれそうだけど、自分のみたい世界を再現する(そして映画を愛する心がビシビシ伝わってくる)あの表現力をちょこっとでも盗みたいなぁ。

 
『ブラックパワー・ミックステープ〜アメリカの光と影』を新宿K's cinemaで鑑賞。
60年代後半から70年代頭のアフリカ系アメリカンによる運動のドキュメンタリー。マーティン・ルーサー・キングやマルコムXに焦点を当てたものはわりとあるけど、ボビー・シールやアンジェラ・ディヴィス(!!!!!)といったプラック・パンサー周辺もちゃんと同じぐらいのバランスで取り上げられていました。
 
生きていく上で、未来が信用できないとかいう意識って私が思っている以上にどの時代でも結構言われているような気がするんだけど、そんななかで人はどうやって状況を変えるべく動いていたのか。そして運動が衰退した後に何が残ったのか。アメリカ発のHIPHOPが闘争的であり、音の一つ一つが私たちの胸に迫ってくるのは、この時代の遺産なのですよね。
 
アフリカ系アメリカンによる運動には、優れたアジテーターがいたけれど、今の日本ってあんまりそういう人っていない気がするんですよね。高円寺発の脱原発デモのテーマが「有象無象」だけど、中心にいる人がわかりにくいけど、いろんな意志を持った個人(普通の人っていう言い方はあまり好きじゃない)の集合体がいろんなところにある感じ。
誰かの強い意志のもと、同じように人が動くんじゃなくて、いろんな人が共存している感じがいいなぁと思っている私の目にこの映画で一番強烈に映ったのは、本屋の親父の言葉であった。
 
「ブラック」の権利だけを求めていたわけではなく、一握りの人間の富のために不当な扱いを受けている人も視野に入れながら戦っていた。そんなことがよくわかるスウェーデン発のドキュメンタリー。オススメでつ。

 
『エリックを探して』の軽やかさとは一転して、シビアな映画になるんだろうなぁと予想していたのですが、犯人探し的な要素(サスペンスっていうのかな)が強かったので、今までのローチと若干違うかなという印象でした。これは映画なんだって頭の中で理解しながら観ている感じ。
 
主人公が親友を亡くし自分自身を見失ってしまっているところとか、容赦なく人が死んでいくところとか、そういう描写を手加減なしで見せることで主人公が何故そういう行動に至ったかを想像することができます。私がケン・ローチの映画を見続ける点はそこにあります。
たとえ救いようのない映画だったとしても、ケン・ローチは本来人間の持っている人生を切り開く力を信じているんだと思います。

 
映画『サウダーヂ』をようやく観てきました。
平日の昼間にもかかわらず映画館はほぼ満員。客層も現代思想を好んで読むような人ばかりかと思いきや、年齢層高めで、おじさまがたくさん来てました。同じような物が好きな人と同じような映画を観るよりはいろんな人と観た方がやっぱり面白いと思うのです。こういう映画を肴にして酒を飲めたら最高じゃないですか。
 
なんかいきなり結論でちゃったけどw、地方都市に住む人たちを取り巻く問題だけの映画ではなかった気がします。この映画が作られたのは3.11以前のことだし、東京の人間が見てみぬふりをしてきたことが映画の中だけじゃなく、現実の世界でもわかるくらい可視化してきてしまっているんだと思います。
甲府だけの話じゃないでしょう、こういうことは。
それにしても、ここ数年は試合を追っていろんな街を見てきた割には、こういったことに想いをめぐらすこともほとんどなくて、金を落とすように敷かれた道に乗っていただけなんだな、とアーケード街にはためくヴァンフォーレののぼりを見てちょっと反省。
  
自分としては、未来とか夢とかにすがっていきられるほど楽天的に今を生きていないし、結構醒めた目で世の中をみちゃっているんだけど、映画のそこかしこで人間のいい意味での馬鹿さが描かれていたのがとても楽しくて、いい映画を観たなと思いました。そして、金のために離散させられた人たちが、映画がきっかけに集うことがあればいいのにな、とも思いました。東京だけじゃなくさまざまな都市で上映されることを切望します。
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