松田直樹を追って松本に行き、限られた時間ではありましたが、1シーズンが終わるまで松本山雅を見てきました。
緑のユニフォームを纏った彼の前で私は傍観者にしかすぎませんでしたが、10月に友人を通じて追悼試合が1/22に日産スタジアムで行われることを知ったときに、横浜で応援した時と同じように何か作品を作って、スタンドから松田直樹へ向けてのメッセージを送ろうと思いました。
製作途中、天皇杯で松本山雅が勝ち進みマリノスとの対戦が決まったり、J2昇格を決めたりとほんとにいろんなことがありました。ネット上で松本山雅への中傷めいた発言もいくつか見かけましたが、いろんな想いは全部この作品に込め、ネット上であれこれ反論するのはやめようと思い、仲間の協力を得ながら完成させました。
3×3mの正方形になるように縫い合わせた後、プロジェクターを使い元絵を拡大させてトレース(鉛筆などで元絵をなぞる)。布が大きいので一度にトレースできず、布をずらしながら二回にわけてトレース。
トレースが終わったら、ベタ塗り部分の作業時間短縮化を図るのとラインをシャープにするためのマスキング。意地になってマスキングしてる人w 普通はここまでやりません。
水性ペンキで塗り作業。
濃い色と薄い色が混在している部分は、薄い色から先にペンキを入れる。濃い方の肌色は既製品ではいい色がなかったので混ぜて作りました。
黒を入れると少しずつ、あの人っぽくなってくる…。
細かいはみ出しや塗り残しを修正し完成。
最初、松本山雅を見た時に「私、このチーム好きになれるのかな」とまず思いました。応援する人もたくさんいてチャントもいろんな立場の人が参加できるよう考えられているし、すごくいいサポーターがいるチームだと感じてはいたのですが、4月のダービー以降、肝心のフットボールにイマイチ魅力を感じることができず…このまま傍観者で終わるのかなとスタンドにいました。
9月の高崎戦でてんでバラバラな選手たちを見た時に「もうこれ以上ヒドイことはないだろう」と思ったのと、松田さんが「あいつらホントにサッカーが好きなんだよ」って言ってたことを思い出して、その後の試合も自分の目で見て、感じたものを信じようと気持ちが変わってきたように思います。
結果として、スタジアムにいる人間が能動的にチームに関わって勝利をものにするという試合に何度か遭遇することになり、今まで見てきた激しくて熱くて強いフットボールとは違うけど、これもフットボール。なんか凄くねーか!!とようやく気づき…気になるチームから好きなチームになりました。まぁ、自分のチームという感覚はないのでサポーターというところまではとてもいっていないですが。
応援するクラブは生涯一つ。ユニフォームの色を変えるなんてとんでもない。私もずっとそう思っていたし、そうでありたかった。でも生涯トリコロールのユニフォームでいたいとずっと願っていた彼を守ってあげることができなかったのだから、たとえこの先よくわからんレッテルを貼られて自分が一人になってしまったとしても、彼の選手生活は見届けようとは思っていました。彼が悩みに悩んで決心した先に、松本山雅がいてくれて本当によかった。フットボールは勝敗だけではない。好きなチームと過ごしている時間が楽しい、ということをわかっているたくさんの人たちに囲まれて、スタジアムって楽しいなっていう気持ちを取り戻すことができたからね(なんか、BBAのストーカー日記みたいになってきたのでもう止めときますが…)。
追悼試合では、完成した作品を松本山雅のゴール裏に貼らせていただくことができました。本当は物干し竿を使ってゲーフラ仕様で出したかったのですが、セレモニー的な雰囲気の中では攻撃的なゲーフラはそぐわないので止めました。突然の申し出にも関わらず、快く場所を作っていただいた松本山雅のサポーターの皆様、本当にありがとうございました(それに引き換え横浜のサポーターは…以下、自粛)。
横断幕やゲーフラは自分の居場所を示すものではなく、自分の意志を示すためのものだと思っています。スタジアムのスタンドでいろんな人の目に触れながら掲出するといろんな想いや景色が思い出される瞬間があって、それが楽しくて何かあるといろいろ作ってしまう私です。
もう松田さんの姿をこの目で見ることは叶いませんが、選手やチームに対してネット上の言葉に託すのではなく、スタンドから表現することがフットボールは一番楽しいんだと一年かけてわかったので、たとえ自己満だとしてもそういうことから逃げないでフットボールと関わって生きていこうと思います。
No existen sueños solitarios. 孤独な夢なんてない。
松田さん、ありがとう。ゆっくり休んでくだされ。
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